介護は1人で背負うものではありません

私の壮絶な介護体験のお話です。

現在私は旦那、3児の子を持つ37歳の専業主婦です。そして介護の必要な義母の6人家族です。
義父はすでに他界しています。

私は高校卒業後、小さい頃からの夢だった「おじいちゃん、おばあちゃんを介護する人になりたい」と思い、その夢を叶え介護施設で働いていました。
介護施設で働くのは本当に楽しく毎日充実した日々を過ごしていました。
入浴介助、食事介助、口腔ケア、シーツ交換、オムツ交換、レクリエーション、イベント行事。
なに一つ取っても苦痛に思うことはなく、本当に私の天職だと思っていました。

そして勤務年数が7年続いた25才の時、今の旦那と出会い結婚したのです。
結婚してからも介護の仕事は続けていました。
そんな中、私は第一子を授かることができ、ギリギリまで働き出産、育児のため仕事を退職しました。

第一子を出産し、すぐに第二子にも恵まれ無事出産。
家族が増え賑やかに過ごしていたのです。

そんなバタバタ育児に奮闘しているころ、同居していた義母の様子がおかしくなっていくのです。

掃除、洗濯を一切しなくなり、いつも決まって「今何時?」と一時間の間に5回程聞いてくるのです。
そして、「財布がない」と探し始めます。
まずは私が1番に疑われ、次は孫である子供たちまでもが疑われるのです。まだヨチヨチ歩きの子をです。
明らかにおかしい!
誰が見てもこれは・・・。と思うほどでした。

まだその時は義母も65歳を過ぎた頃でした。
認知症にしては早い。
若年性のアルツハイマーなのか。

健康診断だといってすぐ病院へ連れていき検査をしてもらいました。

結果は、

「認知症」

年の割には早いが、あのおかしな行動が認知症のせいだと分かり私は「これから先どうしよう」ではなく、スッキリした気分だったのです。

認知症!
こればかりは、なりたくてなったわけではない。
しょうがないことなのだから家族が支えていくしかないのだ。

そして、私がこんなプラス思考に考えられたのは、「介護の素人ではないこと」だったのです。
介護の仕事で学んだ知識、経験があることが何よりも強みだと思いました。年寄りの扱いには慣れている。
私なら大丈夫だと!!

認知症と分かってからは症状を薬で抑えているせいか、いきなりおかしな行動になった!ということはなく、徐々に何年もかけ少しづつ進行して行くのです。

まず、認知症と診断され2年が経つ頃にはトイレの失敗が多くなりズボンが汚れていることが多くなっていきました。
その汚れた下着、ズボンはいつも決まって布団の下やタンスの奥から異臭と共に出てくるのです。
そして一番大変だったのは、暴言、暴力だったのです。
「泥棒は出ていけ」
「お前に殺される」
「ご飯くらい食べさせろ」
「死ぬーーー」
と、こんな感じで叫ぶのです。

時には外で「助けてくれー」と早朝から騒ぐためご近所から警察へ通報され、パトカーが来てしまうこともありました。
「こいつ(私のことです)に殺される。もぅ1週間もご飯を食べさせてもらっていない、死んでしまう、助けてくれ」と涙ながらに義母は警察官に泣きつくのです。
警察官から私はどう見られているのか、本当に虐待にも似た行為をしていると思われているのか・・・。
私は何もしていない。
ただ警察官が私を見る目が恐ろしく思えてしまうのです。何もしてないないのに何もしていないという証拠がないのです。

「認知症」
その診断のみが証拠なのですが、認知症の中身、症状までを伝えるすべがないのです。

そして暴力。
身の回りにある物を投げつけられたり、時にはかわいい子供たちにまでも近寄ると髪を引っ張られていたり、叩かれたりするのです。
穏やかだった義母はみるみる変貌していきました。
目つきも変わり、態度も変わり。

やはり子供たちにまで被害が及ぶと義母の側には子供たちを近づけたくない!
そう思ってしまうのです。

でも認知症だからと、認知症なんだからしょうがないんだと、自分に言い聞かせるのです。

しかし介護が続くにつれ、子供たちも暴れ馬のように元気に育っていくのです。

介護と育児の両立です。
少し疲れが出ている!と自覚していましたが辞めることはできません。
なぜなら介護も育児もやるのは私1人しかいないからです。
旦那は仕事!
私は専業主婦!
同じ世代のママ友と遊びにも行きたいです。
20代最後の思い出もいっぱい作りたいです。

そんな普通のことをしたいがために長時間出掛けてしまうと冷蔵庫の中身は食べられ、トイレは汚物で汚れ、義母の姿が家にないのです。

結局子供二人を連れ、あっちへこっちへ探し回るはめになるのです。
でも見つからない・・・。

家に戻ると義母は普通に家でテレビを見ていたり。
そんなことが毎日のように繰り返されていました。

旦那はというと、やはり自分を産んでくれたお母さん。
認知症だということは理解しているのですが信じたくないのです。
自分の親がそんなことになるわけがない!
そんな風に思っていたんだと思います。
逆の立場ならやはり私も信じたくないですから。

しかし今の現状は理解してほしいのですが、分かってもらえず、
「子供のように相手をしてほしいからわざとやっているだけだ!」と言い出してしまったのです。
しかしそれは違います。
認知症という病気なのです。

そんな噛み合わない私たち夫婦は義母のことでケンカすることが多くなっていったのです。
正直、なぜ私がこんなに苦労しなくてはいけないのか。
そもそも結婚したことが間違えだったのか。
同じ世代の友達は子育てをゆっくりと楽しんでいたり、ショッピングに出掛けたり、義母に子供を預け美容室へ行っていたり。
私1人取り残されたようなそんな気分でした。

私が今日あった出来事を仕事帰りの疲れた旦那に愚痴を言ってしまうことで、今度は旦那が強い言葉で、時には暴力で義母を責めるようになってしまったのです。
「もういい加減にしてくれ」
「意味不明なことを口にするな」と胸ぐらを掴み旦那は大声で義母に言うのです。

このままでは良くない!
子供たちも見ている!聞いている!

しかしそんなドタバタの中、嬉しいこともあったのです。
私のお腹の中には、3人目の新たら命が宿っていたのです。

介護によって家庭が崩壊する前に。
子供たちが笑顔でいられるように。
そして、神様から授かった大切な命を...
今のうちに元気な赤ちゃんを産める環境にしなくては!!

即、私は行動に移し近くの福祉課へと相談することにしました。
まずこの数年の経緯を話し、今の現状、今後どうしていけばいいのかについて相談しました。

対応してくれたケアマネージャーさんからまず掛けられた言葉は、

「子育てだけでも大変でしょ?、なのによく何年も1人で介護頑張ってきたね、若いのにスゴイですよ。
でももう1人で頑張らなくても私たちもサポートするので大丈夫ですよ。匙を投げなかったなんて本当尊敬します」

と、誉めて頂いたんです。

その言葉に今までたまっていた物が涙としてバーッと流れ、人目も気にせず泣いてしまいました。
介護生活が始まって初めての涙でした。

そして今!!

元気な子を出産し、ヘルパーさんたちの力を借りながら今現在も自宅での介護生活を頑張っています。

介護生活は早10年を迎え、気づいたことがあります。
介護に対し勘違いしていたのです。

それは、

介護の仕事をしていたから義母の介護も大丈夫!
経験、知識があるからと思い込んでいたということでした。

自宅介護は私も素人だったのです!

仕事と自宅で看る介護は全然違います。
仕事では何人ものスタッフがいて助け合い、介護者1人に対し、数人、数十人の手を借りられ、休める時間があります。
しかし自宅ではこちらが手を貸して欲しいと言わない限り負担は全て介護する側が1人背負うことになってしまうのです。

私ももっと早く人の手を借りられたら楽だったのかもしれません。

ただ...今は私にも100倍も200倍も強い味方がいるんです。

介護生活10年、一番大変だった時に暴れ馬だったあの子供たちが大きくなり私を助けてくれるようになりました。
反抗期に入ってイヤイヤ怒りながらも手を差しのべ介護のお手伝をしてくれています。
本当にありがたいです。
頑張ってきて良かったなと思います。

まだ何年、いや、何十年?(そんなに生きられると。。。笑)続くか分からない介護生活ですが色んな人の手を借りながら私はこれからも頑張っていきます。

そして

介護はもぅ懲り懲りですが、今の介護が終わり、子供たちが成長したら私はまた介護のお仕事をしていると思います。

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