脳梗塞後遺症のある高齢者を介護する家族のつらさ

私の祖父は、約10年ほど前に脳梗塞となり、左片麻痺の後遺症を抱えながら、現在も在宅で暮らしています。麻痺のある人が家で過ごすためには、必要な介護サービスの利用と、何よりも家族の介護が不可欠です。私も介護を経験するまでは、これまで育ててくれた祖父を家でみることが当たり前だと考えていました。しかし、実際に経験してみると介護する側の大変さがこれほどのものかと実感することができました。

祖父が脳梗塞を発症した10年ほど前、私は看護学生でした。祖父は脳梗塞を発症する前日、「いつもより歩くのが上手くない。」と自分で歩く練習をしていました。その次の日、自力で歩くことができず、脳梗塞の診断にて入院することとなりました。この時のことは、私を含む家族全員が悔やんでいることです。それまで歩行に何も問題のなかった祖父の異常をどうして見つけてあげられなかったのだろうと、今でも悔しい気落ちになります。そして、看護学生だった自分がどうして気づいてあげられなかったのだろうという思いでつらかったです。


リハビリを終え、私が大学の夏休み中、祖父が自宅に帰ってくることになりました。私は祖父を支え、そのほかの家族の負担を少しでも軽くしようと奮闘しました。祖父はトイレでの排泄ができるほど回復しており、排尿もその都度トイレで行っていました。私は、毎回のトイレ介助に付き添いました。しかし、これが大変だったのです。午前中はだいたい1時間に1回のペースでトイレに行きます。中には、30分すればまたトイレにいきたいと言うときもありました。午後は昼寝をしてくれますが、トイレのたびに体を起こしてまた寝かせる、という作業が延々と続きました。私の家族には、父母・祖父母・兄がいましたが、父母と兄は日中仕事に行っていたことと、祖母に介護の負担をあまりかけたくないという思いがあったことで、わたしは日中一人で祖父のお世話をしていました。当時私は学生であったため、自分が一番家族の中で時間がある身だから、がんばらなければならないという思いでした。しかし、一日中介護でした。私は、他の友達が楽しく遊んでいる間に、ずっと家で祖父のトイレに付き合っていました。この年の夏覚えていることは、祖父のトイレの付き添いだけというくらいしか記憶がありません。友達にも会えず、自由もなく、だんだん頑張ることが嫌になりました。父は、祖父が家族を呼びたいときに知らせることができるように、ナースコールのようなものを設置しました。しかし、そのナースコールも、祖父が寂しいからいてほしい・寒い・暑いという呼び出しの繰り返しで、だんだん対応するのが苦痛になっていきました。祖父は几帳面な性格もあり、精神的に穏やかではない日もたびたびありました。

そのようなとき、祖父がデイサービスで腹痛を訴えたときがありました。緊急受診の結果、前立腺肥大症の診断を受けました。尿が確実に出るように留置カテーテルを挿入することとなったため、頻回のトイレへの付き添いはなくなりました。しかし、今度はそのカテーテルがつまりやすく、10日に1回のカテーテル交換を余儀なくされました。病院に行く回数が増えることで家族の負担も増えました。祖父を病院に連れていくことは、私たち家族にとってかなりの重労働です。左片麻痺があるため、着替えにも車椅子へ移乗させる際にも介助が必要です。また、私の家の玄関には段差があり、スロープを4か所設置し、祖父の車椅子が転がらないように支えながらスロープを降りなければなりません。病院へは自家用車で連れていきます。自家用車のシートのギリギリまで車椅子をつけ、祖父の腰を支えながら車に移乗させます。病院に着いたら車椅子に移乗させ、病院が終わればまた車に乗せなければなりません。

私や私の家族のように、脳梗塞の既往のある高齢者を支える中で、大変な思いをされている家族の方はたくさんいらっしゃるでしょう。介護する家族が抱えているつらさは、とても大きなものであると言えます。仕事でなく、報酬なしに人の世話を行うことの大変さを、多くの方が知っていただけたら幸いです。

スポンサーリンク
スポンサーリンク



スポンサーリンク



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする